進化というものを考えるときに、進化生物学という学問があります。
生物学において、進化の定義は「世代を超えて伝える性質の変化」であり、
進化は必ずしも進歩を意味しません。
しかし、この2つを“進化”という名のもとで論争が繰り広げられました。
それが「社会生物学論争」です。
社会生物学が自然の流れとして人間研究に発展していった結果、
「生物の進化とは生物の形態・行動・知能などが
下等なものから高等なものに段階的に改良されていくことである」
という誤解が生じ、ヒトは高等な生物であるということから
人種間への差別へとつながっていきました。
あの悪名高きナチスのユダヤ人差別のもととなった「優生学」は、
その最たるものです。
ですから、本書タイトルで掲げた「進化」は、
進化と進歩を意味するダブルミーニングとしています。
とはいえ、ヒトの発展において社会生物学が土台となり、
それが進化心理学、行動経済学へと応用され、
人間行動進化学として、医療、教育、工学などの現場で活用されています。
こうした発展に、実は生物学が大いに寄与していたのです。
ヒトは認知バイアスから“進化”したと言われています。
これは進化生物学を基盤として行動経済学へと発展していきました。
たとえば、ヒトの意思決定において生じる規則性のある判断の偏りは
「行動バイアス」と呼ばれています。
行動バイアスによりヒトは、
「今すぐ1万円をもらえる」と「1年後に1万1000円もらえる」
という選択肢において、多くが後者を選択します。
また、A、B両氏がいて1万円がもらえるとします。
しかし、その分配法はA氏が決めることができ、
その分配率にB氏がNOと言うならば、
両氏とも1円ももらえないという条件が付きます。
このときA氏が自分に9999円、B氏に1円と提案した場合、
B氏はNOと言う場合がほとんどだと、
研究結果から明らかになっています。
(B氏はいくらだと納得するのでしょうか?)
つまり、行動経済学が「超合理的な行動」を経済人としているのに対し、
ヒトの感情はその通りに働かないのです。
こうした感情の偏りは、生物学の知見から明らかにされたのです。
ヒトの感情は、行動バイアスにかかわらず
さまざまな社会の様式を生み出していきました。
「差別」もその1つで、行動経済学により
男女差別をなくすことが研究されてきました。
たとえば、オーケストラの演奏者は多くが男性中心でしたが、
これは採用の際に、音楽は男性が行ってきたという
感情のバイアスが働いているからです。
しかし、演奏者と採用者の間にブラインドを敷いたところ、
採用者は音楽(音)だけで判断するようになり、
一気に女性の比率が高まったのです。
このような現場への応用により、現在では人間行動進化学へと発展し、
行動デザインとして、経済だけではなく、
医療、教育、工学などの現場で応用されています。
本書では、そうした最新の研究や現場への活用例を解説していき、
社会を変える提案もしていきます。
まえがき
第1章 ヒトの心理や行動は「進化生物学」で理解できるのか?
⑴ 進化とは何か?
進化には「世代を超えて伝わる」ことが必要
進化は個体の突然変異から始まる
エスパニョーラ島で生じたゾウガメの進化
自然選択においては「適応度」が重要
ヒトの性格や行動も遺伝子の影響を受ける
春になると鳥がさえずる進化的要因とは?
⑵ 人間行動進化学の誕生
生物の適応研究の対象はヒトへと拡大した
⑶ 人間行動進化学の研究成果
配偶者選択と性行動には男女差がある
ヒトの脳が社会における進化適応で果たした役割
人間行動進化学から見た言語の起源
⑷ 人間行動進化学に関する誤解と「自然主義の誤謬」
他分野の学者を巻き込んだ「社会生物学論争」
社会生物学論争で生じた自然主義の誤謬
生物学においては「進化」は「進歩」と別もの
進化を進歩と解釈したスペンサーの社会進化論
ナチスの人種政策の温床となった「優生学」
現代生物学は遺伝決定論ではない
⑸ 人間行動進化学を応用して社会問題を是正
社会のさまざまな問題の解決には、さらなる研究が不可欠
人間行動進化学が社会に応用される可能性
第2章 ヒトは神を信じたほうが適応的なのか?
⑴ 宗教の進化適応的意義
ウィルソンによる宗教現象の説明
「神は適応的錯覚である」と主張したベリング
ヒトは「神の創造」を想像する
ヒトだけに存在する「自分がどう見られているか」という感情
生存に有利だったヒトの神の創造
⑵ 宗教についての遺伝的研究
ヒトの心理現象や価値観を測定する
宗教と遺伝に関する研究結果
ヒトの信仰心を生み出す遺伝子の発見
⑶ マインドフルネスとヒトの心
認知行動療法として注目される「マインドフルネス」
ヒトの進化における「心のモジュール性」
ヒトの「意識のモジュール」はどう機能しているのか?
ヒトはマインドフルネスによって意識をコントロールできるのか?
第3章 「差別」はヒトの進化の結果!? 進化生物学、進化心理学から行動経済学へ
⑴ 行動経済学の基盤は進化生物学
行動経済学から見たヒトの3つのバイアス(判断の偏り)
脳機能からもわかったヒトの意思決定
ヒトのバイアスは進化的適応である
⑵ 行動経済学を応用した格差の是正
無意識のバイアスのもとに行われる性差別
無意識のバイアスを可視化する「行動デザイン」
行動デザインでジェンダー格差を是正する
ジェンダー格差に関する行動経済学的研究
ダイバーシティ研修に関する問題点
効果のあった行動デザインの実例
進化学的人間観の影響が社会全体に及ぶ時代
第4章 同性愛は生産性がない!? ヒトの行動の生物学的理解と自然主義の誤謬
⑴ 同性愛に対する社会的関心の高まり
同性愛が受け入れられていない日本
自然主義の誤謬―― 同性愛は不自然なことなのか?
⑵ 性別と性的指向について
「セクシュアル・マイノリティ」の概念
⑶ ヒトの性的指向も遺伝子の影響を受ける
ヒトの遺伝子、遺伝学の基本
遺伝と環境の影響を測る「双生児法」
「双生児法」で数値を算出してみると……
ヒトの心理的・行動的遺伝の影響は30~50%
ヒトの「性的指向」にも遺伝が影響する
⑷ 同性愛遺伝子はなぜ消失しないのか?
同性愛遺伝子のパラドックス
同性愛遺伝子が消失しない理由:仮説①
同性愛遺伝子が消失しない理由:仮説②
⑸ 同性愛は差別される存在なのか?
同性愛差別の偏見とIQ
差別にはヒトの進化的起源があった?
差別はグローバルなトレンドとして減少していった
「自由と平等」という価値観が求められる時代へ
第5章 「進化医学」の現在
⑴ 人類の進化と現代のミスマッチ
ホモ・サピエンスの進化
現代人の性質と環境のミスマッチ
⑵ 進化医学の6つのカテゴリー
防御反応:咳・発熱は進化の産物
闘争:病原体と宿主との関係
環境:ヒトの食生活からの観点
遺伝子:不利益な遺伝子でも存続する理由
妥協:利点と欠点の存在する身体構造
遺産:ヒトは過去の進化の遺産からなる
⑶ 精神医学における進化的観点
抑うつはヒトの防御反応
社会的地位と抑うつの関係を示す「ランク理論」
第6章 進化する「教育・医療現場、人工知能」
⑴ ヒトの社会を変える「進化教育学」
教育は生まれつき人に備わったものなのか?
教育の進化をアフリカの先住民の生活から知る
学習しやすい状況にマンガが注目される
⑵ 医療現場への行動経済学の応用
医療現場に見られるヒトのバイアス
ヒトのバイアスを健康行動につなげる
行動を予測可能な形で変える「ナッジ」の研究報告
⑶ 進化の考え方を工学に導入:進化計算と人工知能
生物進化のメカニズムを応用した工学的手法
遺伝的アルゴリズムは自然選択のプロセスを模倣
⑷ 進化的思考で社会を変える
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小松正(こまつ・ただし)
博士(農学)、小松研究事務所代表、多摩大学情報社会学研究所客員教授。
1967年北海道札幌市生まれ。北海道大学大学院農学研究科博士課程修了。日本学術振興会特別研究員、言語交流研究所主任研究員を経て、2004年に小松研究事務所を開設。大学や企業等と個人契約を結んで研究に従事する独立系研究者(個人事業主)として活動。専門は生態学、進化生物学、データマイニング。
著書に『いじめは生存戦略だった!?~進化生物学で読み解く生き物たちの不可解な行動の原理』(秀和システム)、『情報社会のソーシャルデザイン~情報社会学概論II』(共著、NTT出版)、『進化生物学』(共訳、蒼樹書房)などがある。